Biography
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Quick Facts
was | Military commander | ||
Work field | Military | ||
Gender |
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Birth | 1450 | ||
Death | 9 December 1494 (aged 44 years) | ||
Family |
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The details
Biography
江戸 通長(えど みちなが)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。常陸江戸氏4代当主。常陸国水戸城主。
出自
常陸江戸氏は常陸の国人。藤原北家魚名流とされる藤原秀郷の後裔・川野辺氏の支流である那珂氏の傍流。
略歴
江戸通房あるいは通房の子・通秀(修理亮)の嫡男として誕生。
寛正6年(1465年)、家督を継いだ。当時の常陸守護・佐竹氏では、先々代の佐竹義人が一旦家督を譲った嫡男・義俊を廃して弟・実定を守護にした事から内紛が生じていた。通長は実定を支持していたが、実定の死後に義俊が常陸太田城に復帰して、実定の嫡男・義定は水戸城の通長を頼った。ところが、義人の死後の文明9年(1477年)に義俊方の刺客が水戸城を襲撃して義定を暗殺すると、通長はこれに驚いて義俊に降伏した。
その後は佐竹氏傘下として文明13年(1481年)には小鶴原の戦いで小田成治を破り、続いて鹿島郡に進出するなど、常陸南東部に勢力を広げた。ところが、延徳2年(1490年)に山入義藤が佐竹氏に叛旗を翻すとこれに加担した。
明応3年(1494年)、病没。通長には子が無かったため、家督は弟・通雅が継いだ。
脚注
- ^ 『史料綜覧』第8編之909 12頁
- ^ 『常陸三家譜』
- ^ 『新編常陸国誌』
- ^ 『常陸史料』
- ^ 『江戸氏譜』
- ^ 『史料綜覧』第7編之908 185頁
- ^ 『江戸氏譜』には子として通雅、通式、獨放鈍聚和尚、佐竹義治妾の記載がある。
出典
- 『新編常陸国誌』
- 『江戸氏譜』
- 『常陸三家譜』
- 『常陸史料』