馬場 昭徳(ばば あきのり、1948年(昭和23年)7月17日 −)は、短歌結社竹柏会「心の花」の歌人。長崎市出身で、同人誌「場」を主宰。
人物
馬場は米屋の次男として長崎市内で生まれた。九州大学法学部を卒業後、サラリーマンとして働いていたが、30歳で家業の米屋を継ぐ。38歳の頃から短歌を作り始め、40歳の時に長崎県時津町に住む歌人竹山広を訪ね、師事することを決める。それと同時に師と同じ竹柏会「心の花」に入会した。歌人としてのスタートは決して早いものではなかったが、2015年現在までに4冊の歌集を上梓している。その作品は自分自身などをユーモラスに描いたものも多いが、家族や人間一般に対する優しさ・愛情に満ちており、読む者を飽きさせない。彼は歌人として活躍するだけではなく、 竹山広の弟子として、また長崎歌人会の会長・顧問として、師の作品や生涯、原爆の悲惨さを語り継いでいる。また、同人誌「場」を主宰し、若手の育成にも力を注いでいる。
経歴
- (年齢はその年の誕生日の時点での歳を記す)
- 1948年(昭和23年,0歳)- 7月17日、長崎市に生まれる。3人兄弟の次男。戦前に祖父が米の卸・小売業を始め、戦後に父が1951年より長崎市出来大工町にて米屋を営む。
- 1964年(昭和39年,16歳)- 長崎県立長崎南高等学校入学。新聞部に在籍。
- 1967年(昭和42年,19歳)- 同校卒業。九州大学法学部入学。
- <くり返し「漫画家残酷物語」読みたりしかな留年生われ(大き回廊)>
- 1972年(昭和47年,24歳)- 同校卒業。卒業後、東京や福岡で不動産会社や商社などに勤め、7年間サラリーマン生活を送る。
- 1976年(昭和51年,28歳)- 結婚。
- 1979年(昭和54年,31歳)- 長崎に帰り家業の米屋を継ぐ。
- <商ひて親子三代やうやくに米の「こ」の字が見え始めたり(大き回廊)>
- 1983年(昭和58年,35歳)- 長女誕生。
- 1986年(昭和61年,38歳)- 所属する山の会の機関誌に投稿するため、愛読していた寺山修司を参考に短歌を作り始める。
- 1987年(昭和62年,39歳)- NHK学園の添削講座を受ける。そこで講師であった竹山広を知る。長男誕生。
- <産み終へし妻の臥しゐる病院の窓の明りを振り返り見る(河口まで)>
- 1989年(平成元年,41歳)- 竹柏会「心の花」に入会。竹山広に師事する。
- 1991年(平成3年,43歳)-「心の花」「連作20首詠」第1位。
- 1993年(平成5年,45歳)- 1993年の記録的冷夏により米不足が起こり、外国産米が輸入される。
- <五カ国の米を食ひたる半年の悲喜こもごもの味思ひ出づ(河口まで)>
- 1994年(平成6年,46歳)- 再び、「心の花」「連作20首詠」第1位。
- 1995年(平成7年,47歳)- 食糧法が施行されるに伴い、食糧管理法が廃止される。
- <朝七時薄日差しきて食管法なき世のさむきシャッターを上ぐ(河口まで)>
- 1999年(平成11年,51歳)- 50歳時に、第一歌集『河口まで』刊行。同歌集にて第14回「長崎県文学新人賞」を受賞。
- 2000年(平成12年,52歳)- 好きな歌人の一人にあげていた永井陽子が死去。
- <母うさぎ子うさぎうさぎ歌うさぎ 永井陽子が死んでしまひぬ(大き回廊)>
- 2002年(平成14年,54歳)- 短歌・俳句合同の同人誌「場」を創刊(年2回刊、発行人 荻野雅彦)し、編集人となる。同誌は第10号(2006年10月)より短歌単独に変更し、発行人となる。題字の「場」は竹山広の筆による。父死去。
- <父親としての最後の務めならん「死ぬ」といふこと教へ逝きたり(大き回廊)>
- 2003年(平成15年,55歳)- 第二歌集『大き回廊』刊行。長崎歌人会常任委員に就任。
- 2004年(平成16年,56歳)- 長崎新聞歌壇の選者就任。第二歌集『大き回廊』にて第19回「長崎県文学賞」を受賞。第94回長崎綜合短歌大会の講師選の部において一席。母死去。
- <吹く風に体を撓はすることは心地よからん 木を真似てみる(受賞作)>
- <子と母の五十余年に愛憎のなほ言ひがたく母の目を鎖す(マイルストーン)>
- 2005年(平成17年,57歳)- 現代歌人協会[1]の会員となる。
- 2006年(平成18年,58歳)- 「心の花」7月号より無選歌欄となる[2]。
- 2009年(平成21年,61歳)- 第三歌集『マイルストーン』(角川書店)刊行。第10代長崎歌人会・会長に就任。
- <もう一波乱あつてもよしと思ひつつ六十一歳の春となりたり(風の手力)>
- 2010年(平成22年,62歳)- 長崎県文芸協会事務局長に就任(〜平成23年)。3月30日、師事していた竹山広が亡くなる。4月30日米屋を廃業。
- <春の夜の机にものを書きながら師の名を汚すほどもなしえず(風の手力)>
- <四月三十日で米屋やめたりそれ以降注文の電話一本もなし(風の手力)>
- 2011年(平成23年,63歳)- 竹山広の遺歌集『地の世』を夫人竹山妙子と編集。熊本市の歌誌「牙」を主宰する石田比呂志が急逝。
- <六十代は男の花と言ひくれし石田比呂志の遺影を見上ぐ(風の手力)>
- 2014年(平成26年,66歳)- 第四歌集『風の手力』刊行。長崎歌人会・会長を退任し、同会顧問に就任。長崎歌人会主催第109回長崎綜合短歌大会において長崎歌人会賞。
- <「日本本土最西端の碑」まで来つ追ひつめられてゐるにあらねど(受賞作)>
- 2015年(平成27年,67歳)- 【現代歌人集会春季大会 in 長崎・竹山広―戦後七十年】のシンポジウムにパネリストとして参加。7月20日。長崎市長崎新聞文化ホールにおいて[3]。